恩師 高島先生のこと

 

私は昭和35年(1960年)4月一橋大学経済学部に入学した。日米安保条約の調印が6月に行われようとしていて、学内はこの反対闘争に明け暮れていた。入学したばかりの私もこれに参加した。特別の「活動家」ではなかったがいわゆるシンパとして。しかしその後の学生運動が暴力的なものとなりさらに無力感もあって活動から離れた。

 

社会への参加はどうあれば良いかのか迷っていた若者は、当時流行っていた「サルトル」や「カミュ」の著作に出会ってこの研究を始めようとかと考えたものの難解を極めた。そして、「物の見方考え方」を説いた高島善哉先生のゼミに入ったのであるが、師の学問の進め方の薫陶を受けながらも「実存主義」は理解できなかった。卒業論文は未完のまま提出、「研究は続けなさい」との温かい、しかし厳しいお言葉をもらったのである。

 

そろそろ人生のまとめをしなければならない年になっても、この研究は遅々として進まず、いやすでに諦めてしまったのかもしれない。

しかし、「社会への参加」の意思は持ち続けており微力とは言え活動を続けている。師の「研究は続けなさい」の代わりに。

 

高島善哉 たかしま-ぜんや

 

19041990昭和時代の経済学者,社会学者。

明治37713日生まれ。母校東京商大(現一橋大)の教授,一橋大社会学部長,関東学院大教授を歴任。マルクスの「剰余価値学説史」を翻訳し昭和8年検挙された。のちアダム=スミスを研究。「高島学派」とよばれるおおくの研究者をそだてた。平成2110日死去。85歳。岐阜県出身。著作に「アダム・スミスの市民社会体系」など。

【格言など】生きて帰って来たまえ,戦後が君達を待っている(出陣学徒へのことば)